篠宮龍三.オフィシャルブログ One Ocean〜海はひとつ!

2008.04.18 Friday

【ムービー】 −100m FREEDIVE

2008.04.14 Monday

HOMO DELPHINUS


ひとつの旅が終わりました。長い旅でした。「旅」とは、この6週間のバハマ遠征のことではなく、この6年間のチャレンジのことです。ジャック・マイヨールの影響でフリーダイビングを始めた自分は彼の作った当時の世界記録を日本記録でフォローしていくチャレンジをしてきました。そしてレジェンドの足跡を辿る旅はこのバハマの海で終わりました。

2002年にハワイ島で行われたパシフィックカップからこの旅は始まりました。その前の年の2001年の12月にジャックはこの世を去りました。その知らせは世界中のファンやフリーダイバーに大きな衝撃とともに伝えられました。フランスのシラク前大統領は「偉大な才能は永遠に記憶されるだろう」と哀悼の言葉を述べたのを今でも覚えています。
ハワイで行われたパシフィックカップには“ジャック・マイヨールメモリアルコンペティション”とサブタイトルが付いており、自分は、この大会で選手としてなにか出来ないだろうか、自分なりにジャックになにかメッセージを送れないだろうか、と考えた末にコンスタント61mの日本記録を作ることにしました。61mというレコードはジャックが作った唯一のコンスタントの世界記録。自分にとって初めてのコンスタント日本記録はジャックに対するレクイエム、祈りを込めたレコードでした。

ジャックが日本で世界記録を作っていたのは皆さんご存知でしょうか?彼は1970年9月伊豆の海で76mのノーリミット世界記録を樹立していました。それを知った自分は、ジャックがおこなったのと同じ9月の伊豆の海で、同じ水深に行ってみたい!と強く思うようになり、2003年9月に伊豆でアテンプトを行いました。ジャックは当時、東伊豆の富戸の海でアテンプトを行いました。自分は学生時代にダイビングで富戸にはよく通っていたのでとても思い入れのある海です。
アテンプト1週間前に富戸に入り調整を行っていましたが、当日は台風の影響で東伊豆は大荒れ。海は気まぐれ、人の思うようにはいかないものです。急遽当日の朝、ホームグランドの西伊豆、井田へチーム20人全員で移動し、アテンプトを再セットアップ、最高のチームワークで無事に76mの日本記録を樹立しました。東風の影響で荒れ狂う東伊豆と違って、鏡のようなベタナギの西伊豆。井田に着いて海を眺めた瞬間、そこに海の女神の微笑を見たような気がしました。
アテンプトというのは非常に大変な準備を必要としますし、当日の天気が悪いからといって簡単に中止にするわけにはいきません。ジャックはフランスからたった一人で伊豆にやってきて、禅寺で3ヶ月も修行し、大深度トレーニングを行い、スポンサーやスタッフを集め見事に世界記録を打ち立てたのです。並大抵の執念では出来ません。ずば抜けた集中力をも持ち合わせた人なのだと尊敬の念を改めて強くしました。自分のアテンプトの前にはジャックが泊り込みで禅の修行を行った八幡野の禅寺を訪れて当時のお話を伺ったり、実際にジャックが使ったサポート船を見に行き、その船長さんとお会いしたりしました。何よりうれしかったのは当時ジャックのサポートダイバーを努めた方の息子さんが多大な協力をしてくれたことです。結局東伊豆ではアテンプトは出来ませんでしたが、33年の時を経て、再び1970年当時の「人の輪」を感じられたことに喜びを感じました。

2006年にはフランス、マルセイユで行われた国際大会『Coupe des Calanques』に出場し、コンスタントで86mの日本新をマークしました。この86mという記録もジャックへの憧れが込められたレコードです。86mというのは1973年イタリア・エルバ島沖でジャックが打ち立てた当時の世界記録です。ジャックは少年時代にマルセイユで過ごしています。太古の昔に氷河が切り取っていった無数の入り江、カランケは眩いエメラルドブルーを湛えており、ジャックは美しいマルセイユの海で自らの海への想いをよりいっそう強いものにしたのではないかと自分は感じました。

バハマはフリーダイバー”ジャック・マイヨール”誕生の地と言えるでしょう。1966年6月、彼はグランドバハマ島のフリーポートで当時の世界記録60mで正式に世界デビューを果たしたのです。また今回出場したこのVerticalBlue2008はジャックの誕生日4/1に大会がスタートしました。これは主催者ウィルの心憎い演出です。このバハマ大会へのインビテーションを頂いたときに、100mをやるならここしかないなと直感的に思いました。4月というのは例年だとまだ身体は出来ていません。これから深度トレーニングが始まる、という時期なのです。しかしこれを逃がしたらもうこんなシチュエーションで100mは潜れないだろうと考え、トレーニングプランも最善の策を選びました。そしてジャックの誕生日から2日遅れて4/3に100mを達成しました。素潜りでの水深100m達成は日本人初。ジャックは1976年11月に人類初となる100mをマークしています。ちなみに自分が生まれたのは1976年11月。ここになにか運命とでも言いたくなるような不思議な縁を感じます。
100mのグランブルーはとても美しい場所でした。深い海はいろいろな意味で宇宙空間に似ているのではないかと思います。というのは、水深100mという深い海にはほとんど光が届きません。もちろん空気もありませんし、重力もほとんど感じられません。そこは我々のよく知っている、光があふれ潮風が波を作り出す「海」ではなく、もはや「宇宙」に近い場所なのです。100mのグランブルーは感覚的に美しい場所だと認識できますが、そこは暗黒の死の世界。いつまでもそこにとどまることは大変危険です。ですが、自分にとっては死よりもむしろ生を感じる場所なのです。生きている、生かされていると自らの生命に対する感謝があふれてくるのです。水深100mのプレートにセットされている深度証明タグを引きちぎった瞬間、全身に喜びが駆け巡り、そしてその喜びが大会が行われたブルーホール全体に広がっていくような気がしました。冷たく、暗いはずの深い海の水があたたかく、やわらかく、そして自分の喜びによって光が灯ったかのように思えてきました。その一瞬のなかに永遠を見た気がします。
そして同大会で4/7には101mを達成。101mというのはジャックが1981年に出したレコードです。ジャックの宿命のライバルであるエンゾも、また彼ら二人をヒーローとして育ったウンベルトもこの101mをマークしています。101mは3大レジェンドが訪れた特別な場所。当時彼らはザボーラという重りにつかまり潜っていく種目で100mを越えていましたが、自分のスタイルはあくまでもフィンキックでの純粋な素潜りのコンスタント種目。潜行も浮上も自分の力のみで行うより過酷な種目ですが、モノフィン一枚を頼りに、海をより身近に感じられるナチュラルなスタイルです。大きな機械や重りに頼らず、現代のフリーダイビングの主流となっているコンスタント種目で彼らレジェンドたちと同じ水深へ行かなくては、本当にリスペクトしていることにはならないと思っています。大会最終日の4/11には1983年エルバ島沖で達成された、ジャックのラストレコード105mに挑戦しました。結果は104m。1m届きませんでしたがこれはベストを尽くした結果です。どうしても耳が抜けなかったため危険を回避し、手前で引き返しましたが、その自分の判断に間違いはなかったと思っています。ジャックが訪れた105mのグランブルー、その片鱗に触れることが出来ればもうそれで十分なのです。


ジャックの記録を追い求める旅をしながらそれは本当に素晴らしく幸運な出会いがありました。バハマへ発つ日、成田空港に成田均さんが見送りに来てくれました。ジャックの30年来の親友、ドルフィンブラザー。100mに挑戦しようとする自分にジャックと長年の交流から得た秘策そしてお守りを届けてくれたのです。本当にハートのアツい人です。感謝の気持ちでいっぱいになりました。
自分が初めての日本記録61mを達成しようと彼のダイビングショップに挨拶に行った際に言ってくれた言葉が忘れられません。ただただ自分はジャックの記録に挑戦することを知って欲しい、とその一心だけでしたが、「それで俺は何を手伝えばいいんだ?」とまだ出会って間もない若造に言ってくれたのです。うれしかったです。それ以来ジャックの記録を日本記録としてフォローしていくことが自分のライフワークとなり、成田さんとの交流も続いているのです。

素潜りで100m潜ることはどんなにお金を払っても買うことが出来ない得がたい体験です。フィンキックによる純粋な素潜りで100mを訪れた人間は世界にまだ7名しかいません。ちなみにアポロ計画で月面に降り立った人間はわずか12名。それを考えると素潜りでの水深100m到達はいかにビッグエクスペディションかが分かるでしょう。水深100mを達成した素潜りダイバーは月へ行った人間よりも少ないのです。
なんでもお金に換算できてしまい、なんでもお金で買えると勘違いしそうなこんな世の中においてこれほど価値のあるチャレンジはそうそうないと思います。自分の人生の大事な一部分である青春時代のほとんどすべてをフリーダイビングに費やしてこれたこと、なにより20代の前半にフリーダイビングに出会えたことは大きな幸運であったと思います。フリーダイビングを通じたすべての出会いに感謝したいです。フリーダイビングで学んだことはたくさんあります。フリーダイビングは「努力することの尊さ」そして「努力は人を裏切らない」ということを教えてくれるすばらしいスポーツだと思います。


ジャックが世界デビューを果たしたこのバハマの海において、そしてジャックが生まれた4月1日に今回の大会が始まりました。この大会で彼がかつてノーリミットで樹立した100m、101mをコンスタントで達成し、そしてジャックのラストレコードである105mに挑戦したこと・・・この経験を通して、始まりには必ず終わりがあるが、終わりにもまた始まりにつながる道があることを感じました。まるで大いなる円環のように。

61m、76m、86m、100m、101m、105m・・・ジャック・マイヨールの足跡をめぐる旅はすべて終わりました。どの記録も自分の大切な作品のように思えてきます。そして今は、さながら聖地巡礼を終えたかのような静謐で荘厳な達成感、そして夏の終わりに感じるような切ない思いをバハマの風に吹かれながら感じています。


旅は終わってしまった。
そして追いかける人はもういない。
だけど次は自分にしかできない旅に出よう。


ありがとう、ジャック・マイヨール。


2008.04.13 Sunday

-104m and over !

11日間に及ぶ大会がようやく終わりました。長かったです、そりゃもうアメリカの大統領選かと思うほど、長かったです。予定を変更して途中で帰っちゃった選手もいましたが、気持ちは分からないでもないですね・・・。

結果はこのようになります。トータル6本、合計598m!

4/1  95m 日本新
4/3 100m 日本新
4/5  99m (申告103m)
4/7 101m 日本新
4/9  99m (申告105m)
4/11 104m (申告105m)

最終日は思い切って世界記録を申告しようかとも考えていましたが、どうも100m前後に今回のひとつの壁があるようなので105mを申告。この105mはジャックのラストレコードなのでやはりバハマの海で決めておきたかったのです。今回は長い試合期間だったのでいろいろなことをテストできました。一番の収穫はトレーニングで出した自己ベストやそれ以上の深度を申告できるチャンスがあり、思う存分トライ出来たことです。以前はそういったリスキーなことは避けていましたが、最後は105m申告の104m到達と1m手前で引き返しましたが試合で自己ベストを更新できたのが大きな手ごたえになりました。ですのでまったく悔しさなどは感じていません。思いっきりチャレンジしてベストを尽くしましたし、そのための準備を怠らなかったからです。また一番最後に一番いい記録が出せたことも、集中力を切らさず、コンディションを一定に保てたことの結果が出ていると思います。

またAIDAの公式競技会でマークされた記録をみていくと104mというのは歴代4位という記録になります。

 。隠隠横蹇.蓮璽弌璽函.┘献廛WC2007
◆。隠隠娃蹇.妊ぅ屐  .┘献廛WC2007
 105m カルロス  ニースWC2005
ぁ。隠娃苅蹇ー諜棔   VBバハマ2008
ァ。隠娃娃蹇.沺璽謄ン エジプトWC2006
Α 。坑坑蹇.オム   エジプトWC2007




最終日の104mダイブは非常に落ち着いてまた楽しんで潜ることが出来ました。ボトムから1.5mにはテープがゼブラ模様に張っていあり、そこでは何回でもロープを掴んでいいことになっています。そのゼブラゾーンに入る直前、最後の耳抜きのエアがちょうどなくなり、1m手前でしたが泣く泣く引き返しました。まだシーズンは始まったばかりですし、ここで鼓膜を破ってはいけないと判断したことは賢明だったと思います。フリーダイビングはたかがスポーツ、大会もたかがゲームなのです。たかが「ルールの決まった遊び」に命を賭けたり、身体を傷つけたり、ひどいブラックアウトを起こしたりするのは愚の骨頂だと思います。去年のエジプト世界選手権ではトレーニングでどんなにがんばっても95mしかいけず、鼓膜を破っても100m行っちゃおうか!とも考えましたが、あのときも無理をしなかったからこそ、このバハマでの結果があるのだと思います。あせらず無理をしないで続けていけば必ず海は1m、また1mとフリーダイバーを受け入れてくれるものだと思います。105mは沖縄、ちゅら海でのトレーニングダイブで楽しく決めたいと思います。105mを試合で決めることにはもう未練はありません。ベストを尽くしましたし、先も見えてきました。世界記録まであと8m、その8mをどう攻略するかを楽しく悩んで考えて行きたいと思います。あと8m先には世界が待っています。今年はまだあと半年ほどあります。幸いなことに自分は100mでもほとんど窒素酔いを感じませんし、水面に戻ってきてもチアノーゼは出ていません。高濃度の窒素や酸素、二酸化炭素に対する耐性はあり、大腿筋の酸欠、疲れもさほどない、ということは残りの要因は8m分の耳抜きだけです。8mはあと耳抜き2回ほどで到達できるでしょう。

今のところの世界ランク(2008年)はデイブが今大会で出した108m(108点)が一位。そして篠宮の104m(102点)は二位となっています。まずは109mをだして暫定でも世界ランク一位を獲りたいと思います。そしてその次に世界記録を狙いたいと考えています。

今回の目標は100m突破と世界記録へのチャレンジの二つでした。一つ目の目標である100mは毎日潜っていましたが、世界記録へはまだあと2、3回分の耳抜きのエアが必要です。その目標と現実のギャップを埋めるべく、残りのシーズンも精進したいと思います。

応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
これからもあたたかい応援をよろしくお願いします。

2008.04.08 Tuesday

Kick Start 2008



ようやく中間地点を折り返しました。大会日程の2/3を消化し、残るは4日間。自分はあと2回潜ります。100mを達成した後はやはり体が疲れていてあまり気持ちも乗らなかったせいか103mを申告したものの99mで引き返しました。そして今日はまずは一本取ろうと思い101mを申告。結果はOKでした。100mの日本記録をささやかながら1mだけ更新しました。

去年のエジプト世界選手権で100m潜ることが課題だったので、やっとその宿題を終えて、そして101mでシーズン2008のスタートが切れました。これは素直にうれしいです。

101mというレコードはかつて、ノーリミットでジャックとエンゾが、そしてバリアブルでウンベルトがマークしたものだったのでそれを思うと感慨深いものがあります。あ〜イタリア行きたい。シチリアのエンゾに会いに行きたいなぁ。恐れながら言わせて頂きますが、イタリア人と日本人がシラクーザで『101m談義』なんか出来たらなぁ・・・


エリック・ファッタの奥さん、マギーがサンドアートを製作中。フリーダイバーにイルカにマーメイド・・・なかなかの出来栄えですよね。



今日もなかなかのBIGDAYでした。100mオーバーの申告が3人。デイブは113mの世界新を申告するも109mでターン。主催者ウィルはノーフィンで84mの世界新を出したばかりでまだ疲れがあったのかな・・・彼はフリーイマージョン101mを申告したものの92mで戻ってきました。そして明日はフリーイマージョン107mのWRを申告しています!GO WILL GO!!

自分は残りあと2本です。一番欲しいレコードを申告したいと思います。もちろんまだ世界記録はあきらめていません。最後の最後にビッグアプセットを狙います。


2008.04.04 Friday

DREAM -100m



ようやく夢に見た100mを公式に達成しました。前夜から全くと言っていいほど緊張せず、練習よりもいいダイブが出来ました。100mを達成する前夜と当日の朝というのは一回きりしかないので思う存分楽しもう、一瞬一瞬を味わおうと思いながら本番に臨みました。今日も10時にトップライナーとしてオフィシャルトップを迎えましたが、一番乗りはやはり気持ちのいいものです。まだ誰も(スタッフさえ)入っていない水に浸かりブルーホールと対話。足あとのない新雪をいちはやくディセントしていくフリーライダーのような心境、まさにファーストディセントです。

今日はBIGDAYとなりました。100m以上を申告したのはなんと3人も!NZのデイブがコンスタント108m、同じくNZの大会主催者ウィルが101mフリーイマージョンそして篠宮がコンスタント100m。いやはやすごい時代になったものです!デイブは軽くコンプリート。ウィルは97mでターン。またカナダのウィルは84mノーフィン世界記録を申告したものの途中で引き返しました。長丁場なのでみんな様子を見ながら、という感じでしょうかね。それとメグさんがノーフィン日本女子新記録34mをあっさりと決めてくれました。おめでとう!

ジャック・マイヨールが生まれたこの4月にそして彼が世界デビューを果たしたこのバハマの海でアジア人、日本人として初めて100mを公式に記録することが出来て本当に感無量です。フォロワーとしてこれほどうれしいことはありません。実は自分が生まれたのは1976年11月、これはジャックが人類初の100mフリーダイブを成功させた年月なのです。つまり非常に恐れ多いことながら、私、篠宮の年齢がそのまま“人類が初めて素潜りで100mに到達した歴史”を物語ることになるのです。単細胞のワタクシはここに不思議なご縁を感じずにはいられません。諸先輩方を目の前にして僭越とは思いますが、運命と言っては言いすぎでしょうか・・・
また今年はJAS/AIDA−JAPANが発足して10周年です。日本のフリーダイビングが本格的にスタートして10年というこの節目の年に100mをマークしたことは自分にとってもおそらく日本のフリーダイバーたちにとっても大きな意味があると思います。たった10年で日本人はここまで来たんです!

応援してくださった皆さん、本当にありがとうございます。心から感謝です!

あさってからはいよいよ世界記録へ向けた挑戦が始まります。大会は4/11まで続きます。自分はあと4回トライする予定。いつWRにアタックするかを慎重に考えたいです。まだ気は抜けません。どうぞ最後まで温かいご声援をよろしくお願いします。



2008.04.03 Thursday

OFFICIALLY


公式に100mを達成しました。みなさん応援ありがとうございました。またあさってから記録更新に挑戦していきます。 BHより


2008.04.02 Wednesday

バハマ大会開幕! VERTICAL BLUE 2008




始まりました、バハマ大会!夜半からの冷たい雨が残り、朝はあいにくの空模様。ここは本当にバハマ?と思うくらいのさむーい朝でした。透明度も10m前後で伊豆の赤潮状態です。ファーストオフィシャルトップは10:00、自分は申告95mでトップライナーを努めました。最初から100mで飛ばして行きたかったのですが、悪天候のうえ、初日には運営上のトラブルや器材セッティングミスなどがどうしてもつきものですし、運営チームもあまりオーガナイズに慣れてはいないのでまずは様子見ということで絶対に失敗しない深度を申告しました。(今日はタフなコンディションで、10人中3,4人しかホワイトをもらえませんでした。)

結果は実技95m、無事にホワイトカードでした。
去年エジプト・ダハブでマークした90mの日本記録を5m更新し日本新を樹立しました。

今日はジャック・マイヨールの誕生日ということもあって100mを決めるつもりで調整してきたのですが、やはり自然には勝てません。ジャックがいつも言っていたという「Slowly but Surely〜ゆっくりと確実に」というコトバを思い出し、まずは慎重に行きました。

あしたは休みを入れて明後日以降に100mにトライしていきます。100mまであと5mです。たくさんの応援メッセージありがとうございます。本当におおきな力になります。引き続き応援よろしくお願いします。



2008.03.30 Sunday

BBQ


選手もあらかた集まったところでビーチでシーフードBBQ大会。みんなそれぞれが作った食材を持ち寄ります。主催者のウィルはこの日のために獲り貯めておいてくれたロブスター、スナッパーなどを持って来てくれました。やはりみんなエビが大好き、テンションが一気に上がります!

コロンビアのフランク選手と愛娘バレンティーナ。最高にCuteです!

おにぎり大好き、カナディアンウィルとギオム。

やっぱりエビ!

2008.03.25 Tuesday

Welcome back!


Blue Hole is Back!!!
ようやくブルーホールの透明度が回復してきました。最高に綺麗な時の80%くらいですが、だいぶ潜りやすいです。今日は3グループに分けてトレーニング。大会一週間前にして大会本番と同じセットになりました。カウンターバランスシステムに、魚探(これでフリーダイバーの位置と、動作を確認し、動きがなければカウンターバランスを作動させます)潜った後には純酸素セット。これでがっつり攻められます!


酸素バー“ブルーホール”
潜った直後に水深5mで5分間純酸素を吸って減圧します。80m以上潜ったときには窒素が身体に溜まっているので100%酸素で置換してすばやく体外に排出させます。これによりDCIを防ぐのです。またリカバリーも早くなるため疲れが残りにくくなります。まさに酸素バー!

2008.03.24 Monday

go south


島に滞在し始めてから3週間以上が過ぎました。この島にはこれといった娯楽はなく結構暇しています・・・。15冊ほど文庫本を持ってきましたが、残りわずか、ペース配分を考えて読まないとね。宿にWiFiがようやく開通したのがせめてもの救いですね。今日はお休み、ロシアのナタリア、ブラジルのキャロライン、トモと島の南のビーチへ行ってみようということになり、みんなでドライブ。島で一番綺麗だという南の果てにあるビーチに着くと日曜日だというのにほとんど人影はなく、独占状態。これぞバハマ!な浜です。素足で小一時間ほど水打ち際を歩き、美しいビーチを一人で満喫。心が和みます。

いつの時代のものだろうか・・・浅瀬に乗り上げてしまったらしい難破船がありました。50フィートほどの木造の船は上半分はもう朽ち果てていて、さび付いたエンジンだけが船底に取り残されていました。船室には焦げた後があったのでもしかしたら火災にあってクルーが逃げ出したのでしょうか。・・・本当に刺激のない島なので、こういった発見や出来事のひとつひとつが個人的なNEWSになります。

帰りには、最近の悪天候でブラックホールと化したMUDDYなブルーホールに立ち寄ってみました。すると、なんと透明度はすこぶる回復しており、いつもの美しいブルーホールに戻っていました。明日からまたDEEPトレーニングです!この一週間が勝負どころ、自然と気合が入ります。

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プロフィール

篠宮龍三
篠宮 龍三.
しのみや りゅうぞう
プロ・フリーダイバー

2004年 日本人初のプロ選手となる。

2005年 世界ランク1位入賞。(フリーイマージョン種目)

2005〜2007年 国際大会三年連続総合優勝(エジプト、フランス、エジプト)

2008年4月バハマにて、アジア人初の水深100mに到達。世界ランク2位入賞。(コンスタント種目)

2009年4月にはジャック・マイヨールの自己最高記録の水深105mに到達。同年12月には水深107mのアジア記録をマークし、マイヨール越えを達成。(コンスタント種目)

2010年4月にはバハマにて水深115mの現アジア記録を達成。(コンスタント種目)
同年7月は自らオーガナイザーとなり沖縄で世界選手権をアジア初開催。また日本代表キャプテンとして参加し、銀メダル獲得。

2013年5月カリビアンカップにて水深56mのコンスタントノーフィンのアジア記録更新。同年10月バリ大会にてコンスタント種目優勝。

2014年12月バハマ大会にて水深66mのコンスタントノーフィンのアジア記録更新(通算37個目のアジア記録)

2015年4月バハマ大会にて総合準優勝。アジア人男性初のメダル獲得。

国内初のプロ選手として国際大会を中心に参戦。2016年10月、18年間の競技生活に幕を閉じる。現在は沖縄でスクールや海外ツアー、大会等を運営する。

OneOceanを自身のメッセージに掲げ、海洋保護を訴えるイベントをプロデュースしている。

一般社団法人沖縄フリーダイビング協会を立ち上げ、代表理事として沖縄でのフリーダイビングの振興を行う。

本の紹介
素潜り世界一
心のスイッチ
ブルー・ゾーン