篠宮龍三.オフィシャルブログ One Ocean〜海はひとつ!

2008.04.14 Monday

HOMO DELPHINUS


ひとつの旅が終わりました。長い旅でした。「旅」とは、この6週間のバハマ遠征のことではなく、この6年間のチャレンジのことです。ジャック・マイヨールの影響でフリーダイビングを始めた自分は彼の作った当時の世界記録を日本記録でフォローしていくチャレンジをしてきました。そしてレジェンドの足跡を辿る旅はこのバハマの海で終わりました。

2002年にハワイ島で行われたパシフィックカップからこの旅は始まりました。その前の年の2001年の12月にジャックはこの世を去りました。その知らせは世界中のファンやフリーダイバーに大きな衝撃とともに伝えられました。フランスのシラク前大統領は「偉大な才能は永遠に記憶されるだろう」と哀悼の言葉を述べたのを今でも覚えています。
ハワイで行われたパシフィックカップには“ジャック・マイヨールメモリアルコンペティション”とサブタイトルが付いており、自分は、この大会で選手としてなにか出来ないだろうか、自分なりにジャックになにかメッセージを送れないだろうか、と考えた末にコンスタント61mの日本記録を作ることにしました。61mというレコードはジャックが作った唯一のコンスタントの世界記録。自分にとって初めてのコンスタント日本記録はジャックに対するレクイエム、祈りを込めたレコードでした。

ジャックが日本で世界記録を作っていたのは皆さんご存知でしょうか?彼は1970年9月伊豆の海で76mのノーリミット世界記録を樹立していました。それを知った自分は、ジャックがおこなったのと同じ9月の伊豆の海で、同じ水深に行ってみたい!と強く思うようになり、2003年9月に伊豆でアテンプトを行いました。ジャックは当時、東伊豆の富戸の海でアテンプトを行いました。自分は学生時代にダイビングで富戸にはよく通っていたのでとても思い入れのある海です。
アテンプト1週間前に富戸に入り調整を行っていましたが、当日は台風の影響で東伊豆は大荒れ。海は気まぐれ、人の思うようにはいかないものです。急遽当日の朝、ホームグランドの西伊豆、井田へチーム20人全員で移動し、アテンプトを再セットアップ、最高のチームワークで無事に76mの日本記録を樹立しました。東風の影響で荒れ狂う東伊豆と違って、鏡のようなベタナギの西伊豆。井田に着いて海を眺めた瞬間、そこに海の女神の微笑を見たような気がしました。
アテンプトというのは非常に大変な準備を必要としますし、当日の天気が悪いからといって簡単に中止にするわけにはいきません。ジャックはフランスからたった一人で伊豆にやってきて、禅寺で3ヶ月も修行し、大深度トレーニングを行い、スポンサーやスタッフを集め見事に世界記録を打ち立てたのです。並大抵の執念では出来ません。ずば抜けた集中力をも持ち合わせた人なのだと尊敬の念を改めて強くしました。自分のアテンプトの前にはジャックが泊り込みで禅の修行を行った八幡野の禅寺を訪れて当時のお話を伺ったり、実際にジャックが使ったサポート船を見に行き、その船長さんとお会いしたりしました。何よりうれしかったのは当時ジャックのサポートダイバーを努めた方の息子さんが多大な協力をしてくれたことです。結局東伊豆ではアテンプトは出来ませんでしたが、33年の時を経て、再び1970年当時の「人の輪」を感じられたことに喜びを感じました。

2006年にはフランス、マルセイユで行われた国際大会『Coupe des Calanques』に出場し、コンスタントで86mの日本新をマークしました。この86mという記録もジャックへの憧れが込められたレコードです。86mというのは1973年イタリア・エルバ島沖でジャックが打ち立てた当時の世界記録です。ジャックは少年時代にマルセイユで過ごしています。太古の昔に氷河が切り取っていった無数の入り江、カランケは眩いエメラルドブルーを湛えており、ジャックは美しいマルセイユの海で自らの海への想いをよりいっそう強いものにしたのではないかと自分は感じました。

バハマはフリーダイバー”ジャック・マイヨール”誕生の地と言えるでしょう。1966年6月、彼はグランドバハマ島のフリーポートで当時の世界記録60mで正式に世界デビューを果たしたのです。また今回出場したこのVerticalBlue2008はジャックの誕生日4/1に大会がスタートしました。これは主催者ウィルの心憎い演出です。このバハマ大会へのインビテーションを頂いたときに、100mをやるならここしかないなと直感的に思いました。4月というのは例年だとまだ身体は出来ていません。これから深度トレーニングが始まる、という時期なのです。しかしこれを逃がしたらもうこんなシチュエーションで100mは潜れないだろうと考え、トレーニングプランも最善の策を選びました。そしてジャックの誕生日から2日遅れて4/3に100mを達成しました。素潜りでの水深100m達成は日本人初。ジャックは1976年11月に人類初となる100mをマークしています。ちなみに自分が生まれたのは1976年11月。ここになにか運命とでも言いたくなるような不思議な縁を感じます。
100mのグランブルーはとても美しい場所でした。深い海はいろいろな意味で宇宙空間に似ているのではないかと思います。というのは、水深100mという深い海にはほとんど光が届きません。もちろん空気もありませんし、重力もほとんど感じられません。そこは我々のよく知っている、光があふれ潮風が波を作り出す「海」ではなく、もはや「宇宙」に近い場所なのです。100mのグランブルーは感覚的に美しい場所だと認識できますが、そこは暗黒の死の世界。いつまでもそこにとどまることは大変危険です。ですが、自分にとっては死よりもむしろ生を感じる場所なのです。生きている、生かされていると自らの生命に対する感謝があふれてくるのです。水深100mのプレートにセットされている深度証明タグを引きちぎった瞬間、全身に喜びが駆け巡り、そしてその喜びが大会が行われたブルーホール全体に広がっていくような気がしました。冷たく、暗いはずの深い海の水があたたかく、やわらかく、そして自分の喜びによって光が灯ったかのように思えてきました。その一瞬のなかに永遠を見た気がします。
そして同大会で4/7には101mを達成。101mというのはジャックが1981年に出したレコードです。ジャックの宿命のライバルであるエンゾも、また彼ら二人をヒーローとして育ったウンベルトもこの101mをマークしています。101mは3大レジェンドが訪れた特別な場所。当時彼らはザボーラという重りにつかまり潜っていく種目で100mを越えていましたが、自分のスタイルはあくまでもフィンキックでの純粋な素潜りのコンスタント種目。潜行も浮上も自分の力のみで行うより過酷な種目ですが、モノフィン一枚を頼りに、海をより身近に感じられるナチュラルなスタイルです。大きな機械や重りに頼らず、現代のフリーダイビングの主流となっているコンスタント種目で彼らレジェンドたちと同じ水深へ行かなくては、本当にリスペクトしていることにはならないと思っています。大会最終日の4/11には1983年エルバ島沖で達成された、ジャックのラストレコード105mに挑戦しました。結果は104m。1m届きませんでしたがこれはベストを尽くした結果です。どうしても耳が抜けなかったため危険を回避し、手前で引き返しましたが、その自分の判断に間違いはなかったと思っています。ジャックが訪れた105mのグランブルー、その片鱗に触れることが出来ればもうそれで十分なのです。


ジャックの記録を追い求める旅をしながらそれは本当に素晴らしく幸運な出会いがありました。バハマへ発つ日、成田空港に成田均さんが見送りに来てくれました。ジャックの30年来の親友、ドルフィンブラザー。100mに挑戦しようとする自分にジャックと長年の交流から得た秘策そしてお守りを届けてくれたのです。本当にハートのアツい人です。感謝の気持ちでいっぱいになりました。
自分が初めての日本記録61mを達成しようと彼のダイビングショップに挨拶に行った際に言ってくれた言葉が忘れられません。ただただ自分はジャックの記録に挑戦することを知って欲しい、とその一心だけでしたが、「それで俺は何を手伝えばいいんだ?」とまだ出会って間もない若造に言ってくれたのです。うれしかったです。それ以来ジャックの記録を日本記録としてフォローしていくことが自分のライフワークとなり、成田さんとの交流も続いているのです。

素潜りで100m潜ることはどんなにお金を払っても買うことが出来ない得がたい体験です。フィンキックによる純粋な素潜りで100mを訪れた人間は世界にまだ7名しかいません。ちなみにアポロ計画で月面に降り立った人間はわずか12名。それを考えると素潜りでの水深100m到達はいかにビッグエクスペディションかが分かるでしょう。水深100mを達成した素潜りダイバーは月へ行った人間よりも少ないのです。
なんでもお金に換算できてしまい、なんでもお金で買えると勘違いしそうなこんな世の中においてこれほど価値のあるチャレンジはそうそうないと思います。自分の人生の大事な一部分である青春時代のほとんどすべてをフリーダイビングに費やしてこれたこと、なにより20代の前半にフリーダイビングに出会えたことは大きな幸運であったと思います。フリーダイビングを通じたすべての出会いに感謝したいです。フリーダイビングで学んだことはたくさんあります。フリーダイビングは「努力することの尊さ」そして「努力は人を裏切らない」ということを教えてくれるすばらしいスポーツだと思います。


ジャックが世界デビューを果たしたこのバハマの海において、そしてジャックが生まれた4月1日に今回の大会が始まりました。この大会で彼がかつてノーリミットで樹立した100m、101mをコンスタントで達成し、そしてジャックのラストレコードである105mに挑戦したこと・・・この経験を通して、始まりには必ず終わりがあるが、終わりにもまた始まりにつながる道があることを感じました。まるで大いなる円環のように。

61m、76m、86m、100m、101m、105m・・・ジャック・マイヨールの足跡をめぐる旅はすべて終わりました。どの記録も自分の大切な作品のように思えてきます。そして今は、さながら聖地巡礼を終えたかのような静謐で荘厳な達成感、そして夏の終わりに感じるような切ない思いをバハマの風に吹かれながら感じています。


旅は終わってしまった。
そして追いかける人はもういない。
だけど次は自分にしかできない旅に出よう。


ありがとう、ジャック・マイヨール。


 

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プロフィール

篠宮龍三
篠宮 龍三.
しのみや りゅうぞう


フリーダイバー

AIDAマスターインストラクター

写真家



2004年 日本人初のプロ選手となる。

2005年 世界ランク1位入賞。(フリーイマージョン種目)

2005〜2007年 国際大会三年連続総合優勝(エジプト、フランス、エジプト)

2008年4月バハマにて、アジア人初の水深100mに到達。世界ランク2位入賞。(コンスタント種目)

2009年4月にはジャック・マイヨールの自己最高記録の水深105mに到達。同年12月には水深107mのアジア記録をマークし、マイヨール越えを達成。(コンスタント種目)

2010年4月にはバハマにて水深115mの現アジア記録を達成。(コンスタント種目)
同年7月は自らオーガナイザーとなり沖縄で世界選手権をアジア初開催。また日本代表キャプテンとして参加し、銀メダル獲得。

2013年5月カリビアンカップにて水深56mのコンスタントノーフィンのアジア記録更新。同年10月バリ大会にてコンスタント種目優勝。

2014年12月バハマ大会にて水深66mのコンスタントノーフィンのアジア記録更新(通算37個目のアジア記録)

2015年4月バハマ大会にて総合準優勝。アジア人男性初のメダル獲得。

国内初のプロ選手として国際大会を中心に参戦。2016年10月、18年間の競技生活に幕を閉じる。現在は沖縄でスクールや海外ツアー、大会等を運営する。

OneOceanを自身のメッセージに掲げ、海洋保護を訴えるイベントをプロデュースしている。

本の紹介
素潜り世界一
心のスイッチ
ブルー・ゾーン